法 話

2024-04-05 14:10:00

心の財

今月の聖語

人身(にんしん)(たもち)し、(くさ)(うえ)(つゆ)

『崇峻天皇御書』

 

日蓮大聖人は、人の一生というものは朝日と共に消えてしまう草の上の露のように、儚いものであるからこそ人生の一瞬一瞬、人の命がどれほどかけがえのないものかを示され、人生は長い短いが尊さの基準ではなく、それをいかに内容あるものとするかが大切である。どれだけ生きたかではなく、どのように生きたかが大切あると言われています。

 

昨今の感染症や経済の不安、思いもよらない災害の発生の中、私たちはどのようにこのかけがえのない人生を生きればよいのでしょう。

 

続く文章で日蓮大聖人はさらに、人生における重要な価値基準を示され、それが「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」との一節です。 大聖人はこの3つの中で、「心の財」こそ最高の宝であり、それを積むことが人生の根本目的であると述べられています。

「蔵の財」とは、お金や土地などの財産のこと。

「身の財」とは、健康や才能、身に付けた技術のことです。

「心の財」とは、生きている間に積んだ功徳。つまりは心の豊かさのことであります。他の人たちの為にどれだけ善い行いをし、自らの精神的・人間的にどれほど成長させたかという事であります。

 

不安な世の中、私たちは地位や名誉お金、また健康や命の長短を他者と比較し、なぜ自分だけが不幸なのであるのかと嘆き、それを誰かの責任にしてしまう事もあります。

例え財や健康を得たとしても、そこに心の安心がなければ虚しくこの生を過ごすだけであります。

しかし、財や健康に難があっても、日々の命・他者から支えられている事への感謝を抱いて生きれば、自然と笑顔が増え日々充実した幸せな人生であります。

 

この儚きもかけがえのない貴重な人生。日々の感謝で心の財を積み、笑顔あふれる心の安心な世界の輪を弘げて行きましょう

2023-12-03 21:51:00

心豊かに生きる為の「師」

弟子のしらぬ事を教たるが師

日蓮大聖人ご遺文「開目抄」

みなさんは「師」というと何を思い浮かべられるでしょうか?

学校の恩師であったり、習い事の先生や仕事の先輩など、年上の方や社会的地位の高い方を思い浮かべられる方が多いのではないでしょうか?

しかし「師」とは、年上の人や社会的地位の高い人であるとは限りません、あなたより若い人かもしれません。子供たちの素直な心から学ぶこと、自分が嫌だと思う事を行った人から学ぶ他者へに慈しみの大切さ。さらには「師」とは人に限った事ではありません。

 

何気ない山も川も天も地もすべて真理の現れであり、目に見えるすべてに仏性が宿っているのです。目に見えるもので不要なものはひとつもなく、全てが私たちに心豊かに生きるためのに仏さまが教えを示しているのです。

 

様々な活動の中で、ある障害を負った子供さんのお母さんの明るい笑顔に涙がでそうになったことがありました。彼女の笑顔の奥には、それを乗り越えるのにどれだけの苦しみを味わっただろうかと。

しかし、彼女から聞いた言葉は「障害を知った時は絶望で全てが暗く先が見えない状態でした。しかし、今笑顔でお話しできるのも、全てはこの子のお陰なのです。この障害を負ったからこそ、たくさんの人の優しさにふれつ事ができ、今までは見えていなかった小さな喜びも知ることができたのです。この子と一緒に私も成長させてもらってるのです」と。

 

どんな不幸も考え方、行いで人生を変えることができるのです。

今辛い方は、辛い方の気持ちがよくわかります。そういう人にしかできない助けもあります。

どんな状況であっても必ず私たちを心豊かな人生へと導く「師」である仏さまからの救いの手は差し出されています。

 

何気ない日常から師の教えを見つけ、心豊かな人生を送りましょう。

2023-10-01 09:56:00

早死にの秘訣

今月の聖語 

   

一日も生きておわせば功徳つもるべし

 

日蓮大聖人ご遺文「可延定業書」

一 、三度の食事は腹一杯食べてどんどん太りましょう。

一、お酒は毎日三合以上呑みましょう。

一、煙草も必ず三箱以上吸いましょう。

一、努めて脂肪分の多い食べ物を食べましょう。

一、塩分の多い物を食べましょう。

一、コーヒーは砂糖をじゃんじゃん入れてガブガブ飲みましょう。

一、体はあまり動かさずお風呂は遠慮しましょう。

一、近所付き合いはやめましょう。

一、夜ふかしをしましょう。

一、毎日イライラした生活をしましょう。

 

上記は明らかに体に悪そうな「秘訣」ですが、これはある方が実際にお話されている『早死の秘訣』なのです。この話しを教えてくれた方はご年輩の方を対象に『長生きの秘訣』を教えている人なのですが、、、

どうも『長生きの秘訣』を説いても守らないそうです。そこで、これを逆手にとって『早死の秘訣』を教えるのだそうです。

これだけのことを守れば必ず早死にができます。さぁ、今から始めましょう‼という訳ですが、『逆もまた真なり』いや、『逆こそ真なり』。意外と長生きの為の行動に一役買っているそうです。

 

人間には誰しも『欲』があります。その中には『生存欲』というものがあります。しかし、長生きしたいと思っていても案外長生きする為の努力をしていない人が多のではないでしょうか?そんな時は是非、この『早死の秘訣』をヒントにしてみてください。 

日蓮聖人も「一日も生きておわせば功徳つもるべし。あら惜しの命や、あら惜しの命や」(可延定業書)と申されています。つまりは、『一日多く生きれば一日多く功徳を積める。それ程に命とは有り難いものである』ということです。

 

私たちは受け難い命をいただき、多くの人達に支えられて今を生きています。

曲がりなりにも、今日一日無事に過ごせたということはどんなにありがたいことでしょうか。惜しまれる命を精いっぱい生きることによって積まれる功徳もあります。

 

命をいただいて生かさせていただいている限りあるありがたい時間。どの様に使っていたか、そして今後はどの様に使って行くかを考えてみましょう。命の大切さ・ありがたさを感じた時、自然と掌が合わさり仏の心が生まれている事でしょう。

2023-09-03 12:38:00

仏の種を育てるお題目

今月の聖語 

   

生死を離るる身とならんと思ひて候

 

日蓮大聖人ご遺文「妙法比丘尼御返事」

 

このお言葉は日蓮大聖人が出家される時の決意が示された一文であります。

生死を離れる身とならんとは、生死生死と流転していく苦悩多き凡夫の身のことであり、その凡身を離れるとはすなわち安心(あんじん)の境地に至り成仏することであります。さらには、大聖人自身だけでなく、全ての人々の仏の種が芽生え仏へと至るようにとの決意が示されています。

悟りや成仏・到彼岸などという言葉も同じ意味と言っていいでしょう。

こういう言葉を並べると、私たちは、自分とはまったく無縁な別世界のことのように思いがちです。

 

しかし、すべての人の中には仏になれる種が仏さまからすでに頂いているのです。だから、その種子を見いだし育てることによって安心の境地に至れるのです。芥川竜之介の小説「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタのような悪逆非道の人間でも、蜘蛛の命を一瞬でも憐れむ気持ちが生じたのです。その一片の人間らしさ…それが仏性です。

 

そして日蓮聖人は「南無妙法蓮華経」のお題目によって仏の種を育むことになるのだとお示しになりました。自分は悟りを得ることが出来ないと卑下したり、他者を誹謗中傷したりするとき仏の種は発芽に至りません。

「南無妙法蓮華経」と唱えると、仏の種が芽を出します。

私たちはその芽を大事に育て、自分も世の中も幸せになるように努めなければなりません。

 

時には何が正しいのか見えなくなり、先行きの不安や疎外感を抱くこともあるでしょう。そのようなときにこそ、心の中の仏の種を育むように、お題目を唱えることが大事なのです。

まもなく秋のお彼岸の時期です。ご先祖さまや亡き方に手を合わせながら、皆さまの心に下された仏の種が育っていることを感じてください。

2023-08-01 00:00:00

自らの心から生まれている幸せと不幸せ

今月の聖語 

   

餓鬼は恒河を火と見る

 

日蓮大聖人ご遺文「曽谷入道殿御返事」

 

私たちが見つめる世界は、たとえ変わり映えしない景色や日常であっても、決して同じ瞬間はなく、絶えず移り変わっています。それは物質的なことだけではなく、私たちの心もそうです。私たちはその絶えず移り変わる心を通して物事を見つめていますから、その移ろう心を通して見える世界もまた常に変化していきます。

たとえば、抜けるような青空を見たとき、心も晴れやかであれば「気持ちいい空」になりますが、心に影が差すようなことがあれば、どれだけキレイな青空でも曇って見えてしまいますし、時には晴れている空を憎んでしまうことさえあります。

同じ物や景色・境遇でも、自身の心の状態によって見え方は変わってしますのです。

 

上記のご遺文は、渇きを癒やすはずのガンジス河の水も、欲望に支配された餓鬼の心の時は火に見え、人間として平穏な心で見れば、そのまま水と見え、喜びに満ちた天人には甘露(不死の飲料)に見えると述べられています。

仏事でよく読む自我偈。その1つひとつの文字は、私たちにはただの文字にしか見えないが、仏さまの教えを信じて見れば一文字一文字が仏さまであることに気付くのです。

 

何故自分ばかりが・・・と嘆く言葉を耳にする言葉でありますが、それは自身の心が作り出している不幸なのであります。同じ貧しい境遇であっても、自分だけが貧しく不幸なのだと下を向いて歩む人生と、貧しくても今日も食事をいただけなんとも有難いことだと上を向いて感謝の心を持って歩む人生。どちらが幸せな人生でなのしょう?

 

両親やご先祖さまからバトンをいただき、多くの方々のお陰を以て日々生かされていることに感謝し、心豊かな人生を歩んでいきましょう。

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