法 話
自分らしく 清らかに 前向きに
蓮の花のように生きる
「迷わないことが強さじゃくて、怖がらないことが強さじゃなくて、泣かないことが強さじゃなくて、本当の強さって、どんなことがあっても、前をむけることでしょ」。
「ムーミン」をご存じでしょうか。
フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの原作になる小説で、アニメーションなど数次にわたって映像化もされていますので、親しみを感じておられる方も多いかと思います。
主人公「ムーミン」の友だちに「リトルミイ」という女性キャラクターが登場します。悪戯好きで騒動の切っ掛けになることも多いのですが、歯に衣着せぬ物言いをする正直者でもあります。
冒頭に引いたのは、そんなリトルミイの台詞です。
法華経、日蓮大聖人さまの教え、生き方に通ずるものがあると思うのですが、如何でしょうか。
法華経は、28品(章)から成り立っていますが、その15番目に「従地涌出品」があります。
この章には、この世界で一人ひとりが菩薩となって仏教を弘め、他人のために身を尽くす「利他行」の教えが説かれています。
その中に「不染世間法如蓮華在水」ということばがあります。「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」と読みます。お釈迦さまが菩薩達に「蓮華のように生きなさい」と教えられた一節です。
「蓮華」の花は、仏教を象徴する高貴な花です。しかし、蓮華は清水の中で咲くのではなく、泥の中に育ってこそ、美しい花を咲かすのです。
同じように「世間」という、悪しきものが渦巻くなかでも、それに染まることない清らかな心を持って、自身をしっかり持った蓮華のような生き方をしなさい、とお釈迦さまは教えられたのです。
私たちは、時に人の噂や陰口などの雑音で心を乱されたりします。そして、自身の怒りの心・嫉む心・欲望に振り回される心によって、本来の自分の姿や進むべき道を見失ったりもするものです。
また人の良い所、煌びやかな所と自分の劣っている所を比べては「自分は不幸な人間だ」と言って卑下したり、劣等感を感じたりするものです。
そのような苦しみに生きるのではなく、欲望渦巻く世の中で、それに巻き込まれることなく、染まることなく、「自分らしく」「自分にしか歩めない道」を、蓮華のように清らかに、しっかりと歩んで行くこと。
それがお釈迦さまが教えられた「蓮華」のような菩薩の生き方です。これこそ、本来の心豊かな、そして真に強い人間の生き方ではないでしょうか。
恐ろしい事件などの報道を見る度、社会の悪しきものに染まらない、強い心を養うことが人間にとって大事であると感じます。
そんな時「不染世間法如蓮華在水」のお釈迦さまの声が深く響いてきます。
本当の強さとは、腕力でも、財力でも、名誉でもない。「如蓮華在水」のお経文のように「自分らしく、清らかに、前向きに」生きることが本当の強さではないかと考えます。
お釈迦さま・日蓮大聖人の教えによって、多くの方がが、素晴らしい人生を歩まれることを願って止みません。
令和3年11月 「此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲す」(寺泊御書)
「此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲す」(寺泊御書)
これは文永8(1271)年10月22日。日蓮聖人御歳50歳の時、まさにこれより、ひとたび配流されれば生きては戻れないと言われた佐渡島へと送られる前に書かれたお手紙の一節です。寒さ厳しく食料も乏しいと思われる地へと、ひとりで送られる。私ならば先行き恐ろしく不安な時で弱音を吐いてしまうであろうかと想像します。みなさまであったら、その様な状況であったら如何でしょうか?私と同じ心もちとなってしまう方が多いかと思われます。
しかし、聖語の文面を見てみて如何でしょうか?不安や恐怖は文面に現れているでしょうか?日蓮聖人は不安や恐怖を微塵も感じさせず、それどころか、むしろ堂々とされている文面ですよね。それは何故でしょうか?
日蓮聖人は、時の権力者などに命を狙われること4度。その他にも数え切れないほどの迫害を受けながらも、法華経・お題目を弘めてこられました。まさに自らの命を賭してまで布教をされたのは、自らの行動を「お釈迦さまの正しい教えを実践する者は数々の迫害を受ける」と記された経典と照らし合わせ、自らの布教こそが正しいものであるとの確証されたからなのです。
ですから、佐渡への配流前に書かれたお手紙でも、恐怖や不安は微塵もなく、堂々とされておられるのです。さらには、この佐渡流罪も経典に示されている通りの事であり、益々自らの布教の正しさを深く確信して行ったのです。
日蓮聖人は自らの活動を、「ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんと励むばかりなり」と言われています。
お釈迦さまの正しい教えである法華経・お題目を、只々多くの人々の救うために。それも当時の人だけでなく未来の私たちの為にも、その先のまだ見ぬ私たちの子供たちの為に、自らの命を賭して弘められてきたのです。
日蓮聖人の今を生きる私たちへの深い慈悲を想い、私たちからも日蓮聖人への報恩感謝のお題目を捧げましょう。