法 話

2023-02-23 10:18:00

本当の幸せを見つける

 

最近、巷にあふれる「しあわせ」をよく目にする機会があります。

ポテトチップスの「しあわせバター味」。ポテトチップスの塩気にハチミツの甘味にバターのコク。新鮮でとても美味でありましたが、最近おなかが気になりだした私には少し罪悪感が・・・。スーパーの精肉売り場にも「しあわせ絆牛」の言葉も。美味しく肉じゃがでいただきました。

書店をのぞくと、棚にもたくさんの「しあわせ」「幸福」の指南本が多く並び、四方八方「しあわせ」に取り囲まれているようで、今すぐにでも「しあわせ」になれそうな高揚感が込み上げてきます。

世間では感染症、戦争、物価高と暗いニュースばかりの現代、名前やタイトルだけでもしあわせへと誘うものを手に入れて、良い気分に浸りたいという気持ちもよくわかります。

たしかに、美味しい食事をしている時には幸せな気分に浸れますし、しあわせの指南書を読み、その通りに何かを行えば、今すぐにでも自分が幸せになれる気になってまいります。

しかし、耳には心地良い「しあわせ」という響きでありますが、幸せの感じ方には人それぞれ違います。著者が著わす幸せになる方法や一時的な幸せは本当の「しあわせ」なのでしょうか?

今の苦しい世間や自身の状況から、私たちは安易な「しあわせ」を求めすぎたばかりに、幸せ願望に支配されてしまっているのではないでしょうか?

 

日蓮大聖人のお言葉に「この生を空しうすることなかれ」というお言葉があります。

時は鎌倉時代。まさに現代のように大きな自然災害や疫病の流行などの災害に次々と見舞われていた時代。今を生きることに苦しんでいる人々は、「念仏を唱えるだけで極楽浄土に往生する方が楽でいい」という安易なしあわせも求め、浄土教は広まっていました。

当時から法華経はもちろん伝わっていましたが、「あまりに深い真理を説いているため、常人には理解できない、難しく敷居の高い教え」としてあまり重要視されていなかったのです。

しかし、日蓮大聖人は全てのお釈迦さまの教えを深く読み研究された結果、『法華経』への信仰心を一瞬おこすだけでも絶大の功徳があると説かれ、世間で言われているような「あまりに深い真理を説いているため、常人には理解できない教え」などでは決してなく、それどころか誰にでも功徳をもたらしてくれる教えであると。その得難く甚大な功徳いただける「南無妙法蓮華経」のお題目を私たちにしめしてくださったのです。

さらには、永遠の仏さまはこの世にこそいらっしゃる。したがって真の浄土=仏の世界=しあわせな世界とは、我々が生きているこの世に他ならないのだ」とする『法華経』如来寿量品第十六のお釈迦さまの教えから、現世から逃避して極楽浄土に救いを求めるのではなく、現世でこそ本当の幸せの世界があるのだとおっしゃられております。

先程紹介いたしました「この生を空しうすることなかれ」とは、目の前の安易な楽を求めて本当に大切な事を見落としたまま過ごすことは、まさに貴重な生涯を空しく生きる事となってしまう。

本当の「しあわせ」とは、地位や名誉、物質的豊かさなどではなく、心身の安心であります。

日蓮聖人は『法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。・・・・・・ただ世間の留難来るとも、取りあへ給ふべからず。賢人・聖人も此の事はのがれず。ただ女房と酒うち飲みて、南無妙法蓮華経と唱へ給へ。苦をば苦と悟り、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合わせて南無妙法蓮華経とうち唱へ居させ給へ』と言っておられます。

 

苦楽ともに受け止めて、お蔭様でと感謝していくことが幸せの源なのです。