法 話
仏の種を育てるお題目
今月の聖語
生死を離るる身とならんと思ひて候
日蓮大聖人ご遺文「妙法比丘尼御返事」
このお言葉は日蓮大聖人が出家される時の決意が示された一文であります。
生死を離れる身とならんとは、生死生死と流転していく苦悩多き凡夫の身のことであり、その凡身を離れるとはすなわち安心(あんじん)の境地に至り成仏することであります。さらには、大聖人自身だけでなく、全ての人々の仏の種が芽生え仏へと至るようにとの決意が示されています。
悟りや成仏・到彼岸などという言葉も同じ意味と言っていいでしょう。
こういう言葉を並べると、私たちは、自分とはまったく無縁な別世界のことのように思いがちです。
しかし、すべての人の中には仏になれる種が仏さまからすでに頂いているのです。だから、その種子を見いだし育てることによって安心の境地に至れるのです。芥川竜之介の小説「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタのような悪逆非道の人間でも、蜘蛛の命を一瞬でも憐れむ気持ちが生じたのです。その一片の人間らしさ…それが仏性です。
そして日蓮聖人は「南無妙法蓮華経」のお題目によって仏の種を育むことになるのだとお示しになりました。自分は悟りを得ることが出来ないと卑下したり、他者を誹謗中傷したりするとき仏の種は発芽に至りません。
「南無妙法蓮華経」と唱えると、仏の種が芽を出します。
私たちはその芽を大事に育て、自分も世の中も幸せになるように努めなければなりません。
時には何が正しいのか見えなくなり、先行きの不安や疎外感を抱くこともあるでしょう。そのようなときにこそ、心の中の仏の種を育むように、お題目を唱えることが大事なのです。
まもなく秋のお彼岸の時期です。ご先祖さまや亡き方に手を合わせながら、皆さまの心に下された仏の種が育っていることを感じてください。