法 話

2021-11-30 09:04:00

素晴らしい未来を築くために立ち止まる

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以前テレビ放送で、世界各国で数々の潜水作業の仕事をしてきた優れた潜水士のドキュメンタリーが放送されていました。その中で、潜水士が以前に橋を建築した場所へ潜る機会があった時に見た現在の海底の姿は、橋を建築した当初の海藻が生い茂る海の姿ではなく、見渡す限り一面岩だらけという、まるで砂漠のような海の姿に変わっていたという話があった。

 これについて、その潜水士は、橋の建造によって影響を受けた海流が起こした海水温の変化、またそれにともない、その海流が運んでいた栄養となる物質も欠如した事などが原因として考えられると分析。そして、その現実を目の当たりにし、一流の技術を持つ潜水士として今まで自分のしてきた行動が、地球規模でみて一流の自然破壊者でもあったと気付き、自分の行動に初めて罪の意識が生まれたという。これを機会に海を再生するために、ボランティアとして様々な活動をし、失われ続ける自然と向かい合いあうようになったと話されていた。

 

このように、現代の世の中では人々の暮らしを豊かにし世間から評価される事であっても、未来を考えると誤った考えである事がある。世の中の流れの大局が全て正しいと思い、大きな目で見ること・本質を自分で考えるのを止めてしまった結果なのです。

実は私たち一人ひとりにも例外なくあるものです。知らず知らずのうちのことなので、それと気づかず日々を過ごしてしまいがちです。しかし私たちは、皆がそうだからと行っていたことが誤りであったと気づいた時、自分の言動を改め他者にも伝える事ができます。

 

日蓮聖人の「永劫の善苗を植えよ」とは、正に世間の大局によって善悪を判断するのではなく、自身で未来の事までも考え、本当に正しい善悪の判断に基づき言動を行うように諭されたお言葉なのです。

この正しい善悪の判断を見極めるには、世間の流行や効率・便利さなど刹那的な考えではなく、2500年前から今に至るまで変わらず、そしてこの先の未来まで不変であるお釈迦さまの教えなのです。

 

自らの正しい行いが種となり、未来を素晴らしい世界という花を咲かせるように。家庭であっても、親の姿を見て子は善悪を知り、正しい言動を行える大人へと育つものです。

 自分が気づかないうちに行ってしまった悪いことには、悪いことをしたという意識がありません。ですから悔いることもありません。言い換えれば、後悔しなければ、人は悪いとも感じないとも言えるでしょう。自分が悪いと気づいていないことは大変恐ろしいことではないでしょうか。「永劫の善苗を植えよ」を胸に、今一度自らを振り返ってみてはいかがでしょう。