法 話

2021-11-04 15:19:00

令和3年11月 「此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲す」(寺泊御書)

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「此れより大海を亘つて佐渡の国に至らんと欲す」(寺泊御書)

これは文永81271)年1022日。日蓮聖人御歳50歳の時、まさにこれより、ひとたび配流されれば生きては戻れないと言われた佐渡島へと送られる前に書かれたお手紙の一節です。寒さ厳しく食料も乏しいと思われる地へと、ひとりで送られる。私ならば先行き恐ろしく不安な時で弱音を吐いてしまうであろうかと想像します。みなさまであったら、その様な状況であったら如何でしょうか?私と同じ心もちとなってしまう方が多いかと思われます。

しかし、聖語の文面を見てみて如何でしょうか?不安や恐怖は文面に現れているでしょうか?日蓮聖人は不安や恐怖を微塵も感じさせず、それどころか、むしろ堂々とされている文面ですよね。それは何故でしょうか?

日蓮聖人は、時の権力者などに命を狙われること4度。その他にも数え切れないほどの迫害を受けながらも、法華経・お題目を弘めてこられました。まさに自らの命を賭してまで布教をされたのは、自らの行動を「お釈迦さまの正しい教えを実践する者は数々の迫害を受ける」と記された経典と照らし合わせ、自らの布教こそが正しいものであるとの確証されたからなのです。

ですから、佐渡への配流前に書かれたお手紙でも、恐怖や不安は微塵もなく、堂々とされておられるのです。さらには、この佐渡流罪も経典に示されている通りの事であり、益々自らの布教の正しさを深く確信して行ったのです。

 

日蓮聖人は自らの活動を、「ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんと励むばかりなり」と言われています。

お釈迦さまの正しい教えである法華経・お題目を、只々多くの人々の救うために。それも当時の人だけでなく未来の私たちの為にも、その先のまだ見ぬ私たちの子供たちの為に、自らの命を賭して弘められてきたのです。

日蓮聖人の今を生きる私たちへの深い慈悲を想い、私たちからも日蓮聖人への報恩感謝のお題目を捧げましょう。